Netflixの『シティーハンター』で鈴木亮平にハマり、気になってた『エゴイスト』鑑賞。
クィア映画って、なんか愛憎渦巻く激しいイメージがあって、ちょっと疲れそうだなって思ってあんま観たことなかった。
本作もタイトルが『エゴイスト』だから、自分勝手な気持ちを押し付けて登場人物が絡み合うのかなって勝手な偏見で観始めたら、ゲイカップルの淡々とした日常の中で起こるドラマが展開されてて見応えあった。
引き込まれるようにして見入ってしまうのは、ドキュメンタリー映像を観ているような感覚だからかもしれない。引きの映像がないの。登場人物のアップが多いし。
だから妙に生々しくて、実際に存在しているゲイカップルを間近で観ているよう。セックスシーンもエロいとか感じなくて、ただただ生々しい。
映画の性的シーンを撮る際に、俳優が安心して撮影できるようにサポートするインティマシー・コーディネーター(MeToo運動で需要が広がったけど、それ以前からあったらしい)の存在は知ってたけど、
本作では、インティマシー・コレオグラファーという役割の人が起用されていて、ゲイセックスのやり方を監修してるらしい。だからあんなに生々しいのか。
ただ、前半のストーリーはゲイカップルの日常がメインで、ちょっとだけハラハラ感があるだけだから退屈になってくる。
そのハラハラ感っていうのは、龍太の純粋な雰囲気の中にあるあざとさのようなものに、絶対に浩輔だまされてるよ! って感じるところ。
(純粋さとあざとさを同時に出せる宮沢氷魚自身の存在感がすごい)
実際にお金を援助するようになったもんだから、これは龍太が裏切って愛憎が渦巻いていくパターンかと思えば、いきなり不穏な空気をちょろっと見せて龍太が死んじゃう! え? うそ!
すごいびっくりした。
鈴木亮平は演技派の印象はあったけど、本作の演技は本当にリアルで、実際に浩輔って人がいるんじゃないかと思った。
龍太が死んじゃったことを知ったときの表情とかリアル過ぎて、本当にドキュメンタリー観てるみたい。
演技しているイメージあんまりなかった阿川佐和子も自然な雰囲気で良かった。龍太と浩輔と龍太母の3人のシーンとか、世間話の内容とか言葉がかぶったりしちゃうとことか、めっちゃリアル。
ちなみに映画の冒頭、浩輔が仕事場で彼氏の家に初めて行くときの服装の話してて、ベージュとか無難なの選ぶより好きな服で行けばいいじゃんって言ってたのに、いざ自分が龍太の家に行くときは無難な格好になってて、龍太に「いつもと違う」って突っ込まれてたのはちょっとおもしろかった。
ただ、龍太の母親はけっこう毒っぽい。いくら体を壊したといっても、息子に収入を依存してる状態はどうなのか。どっか支援とか探して息子の負担を減らさなきゃ。
そんな母親を自分を犠牲にしても助けたい息子、これも愛の形なのか。でも、息子が自分のためにウリをやってるって知れば母親はきっと苦しむ。
相手を苦しませるかもしれない自己犠牲は本当に愛なのか。
そして浩輔は龍太が好きだからウリをやめてほしい、その代わりに援助はする、でも援助だけでは足りない、その分は龍太が働くことを提案。
龍太も浩輔が好きだからウリはしたくない、でもお金がない、短時間で高収入のウリより長時間の肉体労働で精神的には楽になっても、蓄積される疲労は確実に龍太の肉体をむしばんでいく。
その結果が龍太の死につながったんだと思う。(映画では龍太の死因は明かされていない)
だから浩輔は自分のエゴで龍太を死なせたと感じるんだね。
物語の後半は龍太がいなくなった悲しみを埋めるために、浩輔と龍太母が疑似家族のような関係を作り出していく。
浩輔が援助を申し出て、何度も断る龍太母。だけど、浩輔の必死の願いに結局はお金を受け取る龍太母。
お金を渡して龍太の代わりに母親を助けたいと思うのも浩輔のエゴなのか。
そこから二人の交流が始まる。一緒に食卓を囲み、お風呂に入って泊まっていく。龍太の代わりに白髪を染めてほしいと龍太母が浩輔に頼んだりと、だんだん家族のように。
そんなふうに、すっかり慣れ親しんできているところで、浩輔は一緒に住むことを提案。でも、そこは頑なに断る龍太母。
「バチが当たっちゃう」って言ってるあたり、浩輔に甘えてばかりいられない龍太母なりの愛情なんだろう。けど、浩輔は頼ってほしかったんだろうね。
入出金履歴とか果物を買うシーンで、一度は安い果物を選ぶ場面からもわかるとおり、浩輔の金銭状況は確実に圧迫されてる。
龍太と同じように、自分を犠牲にしても龍太母を支えたい、でも龍太母はそこまで頼れない。頼ってほしい浩輔と頼れない龍太母。
だから龍太母は浩輔に入院したことを伝えないんだね。
ラスト、龍太母は病室から帰ろうとする浩輔に「まだ帰らないで」と言って、浩輔はやさしく「はい」と答える。最終的に浩輔に甘えてしまう龍太母の気持ちはエゴなのか。
でも龍太母が浩輔に甘えるこのシーン、すごく好き。
その後の展開は龍太母死んじゃって浩輔はまたひとりぼっちになるんだろうけど、そこまでストーリーを進めないでこの時点で終わらせるのはすごく良いと思う。
「一緒にいたい」「助けたい」っていうのは愛情ではあるんだけど、一緒にいるために相手の負担が増えていくなら、それはただのエゴになってしまうのか。
助けたいと思って援助するのは相手の自尊心を削ぐかもしれないし、迷惑をかけたくないという気持ちも相手の中で膨らんでいく。
助けるほうは助けることができて満足だろうけど、助けられたほうは精神的な負担を抱えてしまう。
結局のところ、愛とは自分本位の一方的な感情でしかない、つまりエゴということになってしまうんだろうか。
その答えは劇中で龍太母が語ってる。「僕には愛がなんなのかわからない」と言う浩輔に、「私たちが愛だと思ってるんだから、それでいいんじゃない」と。
浩輔のエゴで龍太と龍太母が救われたのなら、たとえ一方的でも相手に通じれば愛になるのか。それはただの共依存ではないかと思うのは私が愛を知らないからかもしれない。
とても考えさせられる映画でした。
ちなみにNetflixの『シティーハンター』で香役の森田望智さんがチョイ役(看護師)で出てます。
原作のほうも気になるので機会があれば読みたいです。